伝燈院 赤坂浄苑 副住職 角田賢隆

副住職 角田賢隆

「だるま」は願掛けをして左目を入れ、願いが叶ったら右目を入れる縁起物です。全国各地で「だるま市」が開催され、「だるまさんがころんだ」や「雪だるま」、累計九百万部の発行を誇る絵本「だるまさんが」シリーズなど、小さい子供にも大変馴染みのあるキャラクターです。

この「だるま」の元は実在の人物であり、禅宗・曹洞宗と大変関係の深い僧侶でございます。名前を「菩提達磨」といい、インドの王子さまでした。お釈迦さまから始まった仏教はインドから中国を経て、日本に伝わったわけですが、達磨大師はまさしくインドから中国に渡り坐禅を広めた禅宗(坐禅を主とする宗派)の初祖でございます。

インドより約三年をかけて中国へ上陸するとすぐ、そのうわさを聞き付けた皇帝より都へ招待されます。皇帝は手厚く仏教を信仰しており、自身が今まで数多く行った寺院建立や僧侶の保護についてどれほどの功徳があるか尋ねます。達磨大師は「無功徳」と答え、利益を求めて行う施しに意味はないと諭します。では真の功徳とは何かの問いに対しては「廓然無聖」晴れわたり聖人と凡人の区別もない境地だと答えます。最後に私に対してあなたは何者だとの問いには「不識」わかりません。と答え、機が熟せずとしてその場を去ります。

その後達磨大師は少林寺(武術でも有名)に入り、壁に向かい坐禅を組みます。その修行は想像を絶するもので、「面壁九年」ということわざ通り、実に九年間にもわたりました。手足が朽ちるほどの厳しい修行だったわけですが、この時のお姿が「だるま」人形の元となっております。その姿に感銘を受け自身の腕を切り落とす程の覚悟(慧可断臂)で弟子入りを許された、二祖「慧可」が、真髄を受け継ぎ禅宗を中国に広めたわけですが、一説に達磨大師は一二〇歳で中国に渡り一五〇歳まで生きたとあり、おめでたい長寿の象徴ともされております。

曹洞宗の経典「修証義」の中には、世の中が本当に救いのない世界であれば「祖師の西来あるべからず」(達磨大師が中国に渡ることはなかった)と記されており、これは日本曹洞宗の開祖である道元禅師から達磨大師へ対する尊敬と感謝の意を記した一節でもございます。

十月五日はそんな達磨大師のご命日でございます。全国の曹洞宗寺院では「達磨忌」として法要を行いその遺徳をしのびます。

達磨大師が残されたとされるお言葉に「氣心腹人己」があります。「気は長く、心は丸く、腹立てず、人は大きく、己は小さく」と読み、「のんびりと、優しい心で、怒らずに、寛容であり、謙虚であれ」といったところでしょうか。

大変良い言葉ですので「達磨忌」の折、皆さまの生活に取り入れていただければ幸いでございます。

伝燈院 赤坂浄苑 角田賢隆 拝