伝燈院 赤坂浄苑 副住職 角田賢隆

副住職 角田賢隆

ご挨拶

いよいよ夏本番を迎えますが、皆さまお元気にお過ごしでしょうか。有事といえども季節は巡り、早いもので今年も半分を過ぎてしまいました。夏になりますと七月・八月の地域による違いがありますが仏教で重要な行事の一つである「お盆」を迎えます。

ほとんどの方が「お盆」は仏教行事だとお思いのことでしょうが、実は発祥は神道であると言われております。「盆と正月が一緒に来たようだ」ということわざがありますが、これは「神さま」との結びつきが大きくかかわっております。「お正月」はその年の豊作をもたらす「年神さま」(としがみさま)をお迎えしてもてなす大事な行事ですが、この「年神さま」はご先祖さまの生まれ変わりとされる信仰があります。また日本では古くから一年を二つに分ける考え方があり、神社では六月の末と十二月の末に「大祓」(おおはらえ)という半年の罪や穢れを祓うお清めの神事を行います。そのうえで「神さま」(ご先祖さま)をお迎えいたしますので一月と七月に先祖を供養する風習は大昔からあったわけでございます。

餓鬼(図①)仏教においての「お盆」は「盂蘭盆」(うらぼん)といい、簡単に説明すると「施餓鬼」(せがき)でございます。「餓鬼」(※図①)とは「六道輪廻」(ろくどうりんね)で語られる地獄の一つ「餓鬼界」に落ちた哀れな亡者を指します。生前欲深かったものが落ちる世界とされており常に飢えと渇きに苦しむ世界でございます。仏教ではこの哀れな亡者に対しても施しの心を持つように説きます。これは大切な教えの一つである「自利利他」(じりりた)の行いであり、他者の幸せを願う行為が自身の幸せにつながるという尊い教えでございます。餓鬼を供養する功徳(善行)をめぐらせ、大きな力として先祖を供養するのがお寺で行うお盆供養でございます。「盂蘭盆」は主に旧暦の七月十五日に行われておりましたが、これが神道で行われていた七月の先祖供養と結びつき今の「お盆」になったと言われております。

「餓鬼供養」で代表されるものの一つに「水の子」(みずのこ)(※図②)がございます。茄子と胡瓜を細かく切り、お米と水を混ぜたものでございますが、これはまさしく「餓鬼」に施すための供物であり、飢えと渇きで喉が細くなった餓鬼にも食べやすいようにとの配慮でございます。また、お水を供え一緒に「みそはぎ」という植物を供えますが、この植物は喉の渇きを抑える作用があるため餓鬼に供えるという考えがある一方で、漢字で「禊萩」(みそはぎ)と書かれるように、前出の「大祓」(おおはらえ)で使用される穢れを清める植物だったのかもしれません。

水の子(図②)「八百万の神」(やおよろずのかみ)と言うように、神道ではその土地々々で様々な信仰があり、先祖の迎え方や行事は元々千差万別でございました。伝承の形骸化や仏教の「餓鬼供養」も合わさったことでさらに準備で戸惑うケースが増えております。
しかしながら一番大切なのはご先祖さまをお迎えしもてなすということでございます。七月でも八月でもどちらでも構いませんので、盆棚が無理ならテーブルで、迎え火送り火が難しければ提灯だけでも、昔ながらのお供えも準備していただき、古いご先祖さまにも目を向け、ご自身の出来る範囲でおもてなしいただければよろしいかと思います。

空前のブームとなりました漫画「鬼滅の刃」で、主人公は敵である「鬼」にまで憐れみを持ち接しておりました。それが人々の心を打ちヒットしたのではないでしょうか。余裕がございましたら仏教の「餓鬼供養」も伝承していただき、子供たちに人の幸せを願う大切さを伝えていただけましたら有難く存じます。

お盆の習わしについては仏教以外の部分が多くございますが、ご不明に思われることがございましたら遠慮なくお問い合わせくださいませ。