伝燈院 赤坂浄苑 副住職 角田賢隆

副住職 角田賢隆

風呂上がりに縁側で扇風機の風を受けながら、枝豆と蚊取り線香の香りをあてにビールを呑む。そんな情景が恋しい季節となってまいりました今日この頃。当浄苑ご関係者の皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。7月に入り年の半分が過ぎ、「光陰矢よりもすみやかなり」と道元禅師も申されましたように月日の流れは大変早いものだと感じております。

東京は「7月お盆」ですので、準備をされている方も多いのではないでしょうか。この「お盆供養」に代表されますように、他の諸外国から比べますと日本人はご先祖様を大変敬い「先祖供養」の盛んな民族といわれております。

一説によると、「お盆」とは元は神道の考えであり、先祖に供える供物を盛る「器」を刺していて、やがてその供養する行為自体をそう呼ぶようになり、最終的にはその時期を「お盆」と呼ぶようになったそうです。その思想に仏教の「盂蘭盆」(うらぼん)という考え方が交わり日本独自の「お盆」になったとされております。
※「盂蘭盆」については6月号の「赤坂浄苑だより」に詳しく載せておりますのでご参照ください。

私は元々在家出身(生家がお寺ではない)で一般企業(営業職)への就職を経て伯父である現住職にご縁をいただき弟子になり、その後横浜の鶴見にございます「總持寺」(石原裕次郎の墓所で有名)に上山いたしました。その初日、10年ほど修行されている監督係の役僧さんから「なぜお坊さんになった」と聞かれたのですが、考えのない私は当然のように「立派な職業と思ったからです」と答えましたところ「お坊さんは職業じゃない生き方だ」と一喝されたのですが、このやり取りは今でもよく思い出します。(その役僧さんは修行期間中にお寺の一人娘である奥様に離婚されてしまったとうわさに聞きましたが、立派な方だったので今でも活躍されていることと思われます。)

神の国である日本にここまで仏教が浸透したのは、神道の懐の広さはもとより神話でなく具体的な生き方について説かれているところにその大きな要因があるのではないでしょうか。

お寺に生まれたわけではないのでより在家の方たちに近い目線で「ご供養」とは何なのかと考えてまいりました。仏教伝来以前の古来より続く「専属用」とは、ご先祖との繋がりを大切とするものでございます。ご先祖さまの積み重ねがあって初めて今の自分がこの世に存在するわけですから、そのご先祖さまに対して顔向けできないような行いをしてはいけない。ご先祖を通じて自分を律し正しい生き方をする。その姿をお見せする事が大切なのです。「ご供養」は難しくありません。亡くなった両親・祖父母・お世話になった人、その顔を思い浮かべまっとうに生きる事が基本です。

そこに仏教の教えである「布施」(人の為にしたことがひいては自分のためになる」や慈悲「相手の幸せを願い助ける」に代表される様々な「生き方」を取り入れていただき、人の役に立ち感謝される豊かな人生を歩んでいただく。その頑張る姿をご先祖さまに報告できるのが最高の供養になるのではないでしょうか。