ご契約者インタビュー 17

地元の赤坂で見つけた、人と人との絆を感じる場所

赤坂浄苑ご契約者
三代目ありた 店長 有田一人 様

赤坂浄苑ご契約者様の素顔や暮らし方をリラックスした雰囲気の中で語っていただくこのコーナー。今回は赤坂浄苑のすぐそばで和食店「三代目ありた」を営む有田一人様にご登場いただきました。決めた理由はスタッフの清々しい挨拶

- 赤坂浄苑との出会いを教えてください。

有田様:父の建てた祖父・祖母たちのお墓が栃木県の郊外にありました。しかし、もともと父は足が悪く、高齢になってからのお参りが大変になりましたので”墓じまい“を考えるようになっていました。そこで私も赤坂を含めて近場の高輪や三田、新宿御苑などの場所から探そうと思っていたのですが、赤坂浄苑を一緒に見学し父は即「ここにする」と決めました。「他の墓苑も見てから決めようよ」と私は言ったのですが頑として聞きませんでした(笑)。

- 赤坂浄苑を選んだ決め手を教えてください。

有田様:祖父の代から地元の赤坂で商売をし、この地に対する愛着もあったと思いますが、それ以上にスタッフの皆さんの挨拶や当時の所長の人柄がとても気にいったようです。赤坂に華やかな都会のイメージを持つ人は多いかも知れませんが、地元の住民にとってここは人と人との絆を大切にする人情の街です。だからこそ、父は赤坂浄苑の人に対する接し方に深く感じるところがあったのだと思います。

- 屋内墓苑であることに抵抗はなかったでしょうか。

有田様:無事に納骨を済ませて、初めて自動搬送式のお墓にお参りしたときも、父はまったく違和感を持っていなかったようです。そんな父も2年前に亡くなり、今は赤坂浄苑で眠っています。店からすぐの場所にあるため、週に1回はお参りに行っていますが花の用意や掃除も不要で気軽にお参りできる屋内墓苑で良かったと思っています。外観も中の空間もとても洗練されていますし、父と同じくスタッフの皆さんの爽やかな対応に清々しさを感じています。友人なども連れてきて自慢したくなる墓苑ですね。

お店のすぐそばで見守ってくれる父

- お参りでは、お父様とはどのようなお話をされていますか。

写真有田様:父には商売のことなどいろいろと話しています。このお店は5年前にまだ父が元気だったときにオープンしました。赤坂で祖父の代から青果店を営んできた父はとても喜んでくれましたし、「商売は”商い“と読むのだから、飽きずに頑張れ」と励ましてもくれました。有難いことに常連客の方にも恵まれ、なんとかここまで来ることができたわけですが、それでもコロナ禍ではダメージを受けました。そのときは、「どうか、この店を見守ってほしい」と父にお願いをしています。親子の会話ですから、もっとストレートな言い方ですが(笑)。

ありのままの自分でいられる場所へ

- 店名を「三代目ありた」とした理由は何でしょうか。

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有田様:祖父と父の2代続いた青果店「有田」の名前は地元商店街では知らない者はいないほど、多くの人に親しまれていました。また、2人とも赤坂を愛し、地元の振興に貢献してきました。そういった先代たちの頑張りに少しでも近づきたいと思い、この名を選びました。

- お店の特徴はどんなところにありますか。

有田様:代々、青果店をやっていましたから、素材にはこだわっていますし、お酒もいいものを仕入れています。そして、自分で言うのも変ですが、料理もしっかり修業してきました。でもそれは他の店でも変わらないでしょう。やはり、うちの自慢は気兼ねなく、ゆっくり料理やお酒を愉しめるところだと思います。

- そのために何か、工夫されているところはありますか。

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有田様:あえて何もしていないところが気に入ってもらえているのではないでしょうか(笑)。この店では、夜はメニューもありませんので、すべて私の決めたものを勝手に出しています(笑)。一人で全部やっているので注文を聞いてもすぐに対応できないところがありますが、お客様もそこはわかってくださっています。もちろん、常識レベルで礼は尽くしますが、私が媚び過ぎていないところが逆にほっとするのではないでしょうか。その雰囲気がなんとなく自分に合うと思っていただいた方は、何も言わないでも次もここに寄っていただいていますし、いつの間にか常連になってくれています。

「お客様は神様」という言葉があるようですが、祖父や父は「それはちがう。お互いの相性が合って初めてお互いが神様になる」と言っており、家訓のようなものになっています。この店ではお互いが無理せず自然体でいられ、いつの間にか絆のようなものができています。赤坂浄苑もありのままの自分でいられるほっと心が安らぐ場所だと思っています。

- 本日はありがとうございました。

インタビューを終えて

有田様の気さくな語り口から赤坂浄苑への温かい思いが伝わるインタビューとなりました。